小さい頃は、親や先生の言うことをよく聞く「聞き分けのいい子」が圧倒的に褒められていたように思う
私は、親や先生の言うことをただ聞いているだけで、自分で考える力が育たなかったタイプだ
持ち前の「面倒くさがり」に子供らしい「素直さ」が合わさり、キラキラした目で「親が言うことに間違いはない」と信じきっていた
そんなこんなで、自分の意見を持たずにぼーっとしていても、運良く今日まで平和に生きてこられた
しかしミニマリストになるためには「自分に必要か否か」を何度も問い続けなければならない
この作業が楽しかった
どんどん自分の意見が反映された家になっていくのだ(自分の家だから当たり前なんだけれど)
問い続けてものを減らしていくうちに、自分の中で「問いのスイッチ」なるものが押されてしまったのかもしれない
徐々に「内面への問いかけ」が増えていく
私がこの服を選ぶ理由は何か、私にとっての幸せとは何か、この仕事をする意味は何か、あの人が嫌いな理由は何か
問い続けて頭痛がする日もあったっけ…(いつもの偏頭痛)
問い続けて、自分の中で答えが出たものもあれば、まだ出ていないものもある
答えが出たものも、来年には違う答えになっているかもしれない
正しいか間違っているか、人より優っているか劣っているか
そんなことはどうでもいい
持つのだ、自分の考えを
そのために今日も私は自分に問いかける