全てのことに正解があったらどんなに楽な人生であろうか
「人の数だけ正解がある」なんて言われたらもうお手上げなのだ
学生の頃は、「勉強をして正解(とされるもの)を導き出す」ことが求められ、それができる人は「頭が良い」とされた
私はちょっとだけ頭が良かった(※大昔の話です)
ただそれは「大人に教わった正解と正解を導く方法を覚え、試験の時に発揮できた」だけの話だ
社会に出て働くようになると、急に「正解は一つじゃない」と言われる
なんか今までの方法だとダメっぽいから自分で考えないと、とそこでやっと気づく
それまでは大人が教えてくれたものを鵜呑みにしていただけだから、急に「お勉強ができる子」から「人から指示されないとできない子」になる
私は自分ができない子であることを長いこと受け入れられなかった
仕事でつまづくことがあるたびに「私はできる子のはず」と思って努力を怠った
自分のプライドを守るために、学ぶことを放棄したのだ
場の空気を読め、わからないことは聞け、自分で考えろ、余計なことはするな
なんか人によって言うことが違うし、正解がわからないし、私が怒られないといけない意味がわからない
頭の中がパニックパーティ
結局「できる子」にこだわっていたから辛かったのだ
「私はできない子」と自覚して、人から学ぼうとした方が楽な上に成長できる
正解・不正解なんてどうでもいい
すっかりできない中年になった今、正しいかどうかより自分が好きか嫌いかで決めるのが、精神衛生上一番いいんだな〜とのん気に思っている